DGC · NGO / Since 1991 / Tokyo — New York
特定非営利活動法人 国際連合活動支援クラシックライブ協会。
「生命の尊厳」と「環境」という二つの主題を掲げ、1991年の創立以来、
オーケストラの生演奏による舞台芸術を制作してまいりました。
サントリーホール、東京国際フォーラムから、ニューヨーク・カーネギーリサイタルホール、国連本部まで。
舞台の上でしか手渡せない問いを、次の世代へ。
私たちは1991年、サントリーホールでの音楽劇「アンネの日記」から歩みを始めました。2000年に内閣府の認証を受けたNPO法人となり、2017年には国連広報局に連なるDGC・NGOとして名称を改めています。
掲げているのは、たった二つの主題です。「生命の尊厳」と「環境」。この二つを、講演ではなく舞台で伝えること。専門家の言葉ではなく、子どもの歌声で伝えること。それが「生命のコンサート」という私たちの事業です。
国連広報活動、青少年育成、文化継承、そしてボランティアの推進。舞台の幕が下りたあとに残るものこそが、この協会の本当の仕事だと考えています。
2026年7月19日・20日、東京国際フォーラム ホールC。全2日間・3公演を、満場のお客様とともに終えることができました。35年のあいだ歌い継がれてきたひとりの少女の物語は、この夏もまた、新しい客席へ手渡されました。ご来場ご支援を賜りましたみなさまに、心より御礼申し上げます。
全キャスト表、公演チラシ、舞台の記録は、2026年公演 特設サイトでご覧いただけます。
classiclive-un.info/anne/
令和8年度 文化庁
子供舞台芸術鑑賞体験支援事業
音楽劇「赤毛のアン」は、文化庁の支援事業として、小学生から18歳までのお子様をご招待しています。
生のオーケストラと、プロの俳優と、オーディションで選ばれた子どもたち。
四つの柱で、生命のコンサートは編まれています。

家族とは、血縁でも、言葉でも、髪の色や肌の色でもない。
そう、心のつながり。
音楽劇「赤毛のアン」より
ニューヨークで出会った、忘れられない人。
カズコ・ヒリアーさんを偲んで。
国連クラシックライブ協会という団体が今こうして存在していること自体が、実は一人の女性との出会いに支えられています。今年、静かに旅立たれたカズコ・ヒリアーさん。その存在の大きさをここに残しておきたいと思います。私がいまも舞台の仕事を続けていられるのは、間違いなくニューヨーク時代を支えてくれた彼女のおかげです。
今からずいぶん前の事です。文化庁の在外研修員としてジュリアード音楽院で学ぶためにニューヨークへ渡った小池雅代でしたが、着いた当初は宿泊先すら決まっていませんでした。困り果てて頼った知人の伝手から出てきた名前が、地元で評判の日本人女性、カズコさんでした。
初対面はカーネギーホール近くのカフェ。小柄な体つきに反して、質問の切れ味は鋭く、こちらの経歴も人柄も容赦なく確かめられました。まるで審査を受けているような緊張感でしたが、それは相手を軽んじる態度ではなく、本気で信頼できる相手かどうかを見極めようとする、まっすぐな姿勢の表れでした。
話の途中、音楽の縁を通じて共通の知人がいることがわかると、それまで硬かった表情が一変し、短く「合格」と告げられました。この一言がなければ、今の団体もなかったはずです。
用意してくれたのは、メトロポリタン歌劇場、ジュリアード音楽院、ニューヨーク・シティ・バレエ団を一望できる高層階の広い住まいでした。かつて自分の娘のために整えていた部屋を、見ず知らずの留学生にためらいなく貸してくれたのです。「一生に一度くらい、贅沢な暮らしをしてみるのも悪くないでしょう」。そう笑って送り出してくれた懐の深さは、今でも忘れられません。
暮らしはじめてみると驚くことばかりでした。近所にはオノ・ヨーコさんが住み、当時勢いを増していたトランプ氏と親交のあった紅花(ベニハナ)創業者ロッキー青木さんご夫妻。奥様の青木恵子さんが遊びに来られたこともありました。夢のような光景です。著名な指揮者から不意に電話がかかってくることさえありました。それでもカズコさんが教えてくれたのは、そうした華やかさではなく、道路まで来る野菜トラックで安く買い物を済ませるという、ごく実際的な暮らしの知恵でした。
彼女の交友関係は音楽や舞台の世界にも深く広がっていました。ブロードウェイ「ライオンキング」の演出家、ジュリー・ディモアさんが日本で能や歌舞伎を学ぶ手助けをしたのもカズコさんでした。あの舞台に歌舞伎的な様式美が取り入れられている背景には、そうした学びがあったといわれています。
メトロポリタン歌劇場の主役オーディションにこっそり同席させてもらったこともあります。出演者は誰もが実力者に見えましたが、その日は全員が不合格。厳しさの実態を、身をもって知りました。ITI(国際演劇協会)を通じてニューヨーク・アクターズ・スクールを紹介してもらったのも彼女の縁で、そこはアル・パチーノさんが演出を手がけていた場所でもありました。カーネギーホールの館長からは、コンピューターによる合理的な運営と、客席を必ず満席にすることこそが興行の鉄則だと、直接教わりました。
カズコさんは京都の龍村家、龍村美術織物のお嬢さんでした。お母様は明治天皇の孫にあたる方で、皇室では着物姿で育ちながら、絹織物を扱う龍村家に嫁いでからは洋装で暮らしたそうです。この対比を、驚きを込めながら懐かしそうに話してくれたことがあります。
カズコさんらしさが最もよく表れているのが、このエピソードです。まだ無名だった頃のジャクソン・ファイブを半年ほどプロデュースし、まだ売れる前の彼らに温かい食事を用意し続けていたことがあったそうです。時が経ち、15歳で世界的なスターとなったマイケル・ジャクソンが、わざわざ彼女を訪ねてきて「あの頃お世話になったおかげです」とお礼を言いに来たといいます。
見返りや名声とは無縁のところで、目の前の人にそっと手を差し伸べる。カズコさんはそれを義理人情という言葉で表し、それこそが人間の基本だと語っていました。
国連クラシックライブ協会が音楽と舞台を通して人をつなごうとしているのは、偶然ではありません。異国で右も左もわからなかった一人の留学生に住まいを与え、人との縁をつなぎ、生きる知恵と舞台への眼差しを授けてくれた、あの日のカズコさんがいたからこそ、今の私たちがあります。この団体の原点は、確かにあのニューヨークの日々にあります。
カズコさん、あなたが蒔いてくれた種は、形を変えながら今も育ち続けています。私がいま舞台作品を作り続けていられるのも、ニューヨークでの在外研修と、それを支えてくれたあなたのおかげです。感謝してもしきれません、言葉に尽くせないほどです。あなたに出会えたことは、私の人生における何よりの幸運でした。
心からの尊敬と感謝を込めて。
本当にありがとうございました。

1993 / 1997 / 2001 / 2005
ジャパン・ソサエティー、カーネギーリサイタルホール等で「赤毛のアン」を英語上演。NHKでも放映されました。
2017 — Canada 150
カナダ建国150周年記念事業。ニューヨーク日本クラブ、オタワ・ジャパンフェスティバル、在オタワ日本国大使館ホールで上演。
2016 — Beijing
11回目の海外公演にして、初めての招聘公演。夏のコンサートに招かれ好評を博しました。
国連クラシックライブ協会は、平和、人権の擁護、伝統文化の保存、そして環境。この四つに舞台芸術を通して寄与することを願い、歩みを続けてまいりました。プロの芸術家集団「音楽芸術家クラブ Be Ambitious」とともに、クラシックから最先端の表現までを結び、若い演奏家たちの活動を支えています。
Europe Tour
ハノーバー・パリ・ジュネーブ、そしてブリュッセル・パリ・ジュネーブと、二度にわたりヨーロッパ各都市を巡演しました。
Homecoming — Tokyo
帰国後の凱旋公演として、昭和女子大学 人見記念講堂にて環境ミュージカルを上演。坂東眞理子総長のご厚意のもと、約2,000名の学生が参加してくれました。
Korea — Daegu
日韓国交友好30年を記念し、韓国・大邱広域市にて宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」を上演しました。
Beijing
北京市外事弁公室の主催により、環境をテーマとしたコンサートを開催。多くの共感を得ました。
ITI · UNESCO
ITI(国際演劇協会/ユネスコ)の活動に参加し、マルセイユ・バルセロナ・中国海南島・コペンハーゲンの世界大会へ出席しました。
United Nations HQ, New York
ニューヨーク国連本部での研修に取り組み、国連大会議場で開かれた環境会議に三度参加しました。
独立行政法人環境再生保全機構「地球環境基金」の助成のもと、環境ミュージカルを携えて全国を巡演してまいりました。